最終更新日:2022/10/31 (公開日:2019/07/06)

忘れ物をさがしに。-西日本豪雨から一年経った場所で、それぞれが感じたこと-

真備町ボランティア日記/高橋洋地

真備町ボランティア日記 西日本豪雨に被災された真備町に初めて復興ボランティアに行った。まだまだ復興までほど遠いと言っており、始めて見る風景を見て感じることを大切にしようと現地に向かいました。真備町に到着し、さっそく氾濫した川を見た。

率直な感想は、なぜこんな大きいな川が氾濫するほど危険な状態なのに逃げる準備がされていなかったのだろう。また、なぜ情報が伝わらなかったのだろう?

今日の作業現場に到着した。結構、復興が進んでいる家だったので当時の悲惨さを感じることはできなかった。作業内容は、植物の植え替え。生えている木を抜く。全員が必死に根っこを抜き、木を切りしている。僕も必死に根っこを抜き、木を切った。ふと、こんなことが復興に繋がるのかと思った。

復興ボランティアと聞くと、大変なことをしないといけないと考えがちだが、自分ができることをするだけで現地の復興に繋がるのかと思った。家に生えている雑草を抜き、庭を綺麗にするだけでもそこに住んでいる人は嬉しい。復興にゴールはないのかもしれないけど、復興に近くには被災された方が今日一日の何げない話をし、笑顔で終わることを続けることなのかな。

1軒目の家の作業が思ったよりも早く終わり、2軒目に移動。そこには可愛らしい老夫婦が農作業をしているのを中断して、お出迎えしていただいた。おじいちゃんから当時の話を聞いた。悲しいことに川の近くの青い家に住んでいた老夫婦のおじいちゃんが亡くなったらしい。

川が氾濫し、おばあちゃんが先に二階に避難した。その後おじいちゃんが避難しようと思ったが遅かった。水位がどんどん上がっていく中おばあちゃんは、おじいちゃんに手を差し伸べ助けようとしたがおばあちゃんの力ではおじいちゃんを二階に引き上げることはできなかったらしい。

僕は、おじいちゃんおばあちゃんは何年ぶりに手を繋いだんだろうと思った。久しぶりに手を繋ぐことが命を助けるための手段になった。人生最後に大切な人と手を繋ぐとしたらもっと大切な時間と大事な意味を持って、手を繋ぎたかっただろう。僕が考えれるのはここまで。これ以上は考えようと思えなかった。考えることが怖かった。

2軒目の作業内容は、泥落としだった。家の中を見ると被災されたことを感じることができた。柱や天井に泥やカビが見え、一階が水没したことがわかった。今日は、気温が高く日頃デスクワークする僕からすると体力の消耗がすごく意識が飛びそうになった。

周りのみんなも僕と一緒で疲れているのかなと思い見渡すと、全員が無我夢中に自分の作業をしている。「生」を感じた。心のそこから被災地の復興を目指し、他人のために自分の時間を割き、人のために頑張れることは全員ができることではないし、極少数の人しかできない。そんな人たちが集まり行動すれば、そら美しい。人間にしか、できないことだと思う。動物は、赤の他人のために頑張ることはできない。

少し休憩をとり、作業再開。疲労が溜まってき「しんどっ」「疲れた」と僕は自然と呟いていた。本当にしんどいのは真備町の方々。絶対に「しんどい」「疲れた」と言わないと決めていた自分ルールをあっさり破ってしまっていた。破っていることに気づかない時もあったと思う。本当に自然に出ていた。

人って、自分の感情に素直ですぐに行動に出してしまうのかな。だから、日頃の習慣が大事でちょっとしたこともこだわれるかが大事な気がした。 ボランティア終了時刻の16時30分になり、怪我・事故なく終わることができた。


帰りの車の中で何回もボランティアで真備町に来られている家族さんの車に乗せていただき、詳しくゆっくり現状について話していただいた。そこで僕が気になったのは、「人手不足」。復興作業できる方がいなく、なかなか復興作業が進まないらしい。ん?日本の人口は1億人以上。日本全人口の100分の1の10万人が作業をしたら一気に復興が進むと思うのだが。ここにすごい課題を感じた。

今後、日本の人口はどんどん減少していくのに災害が起き復興作業が必要になり、ボランティアする人が必要になりと考えたら、どうなるかはすぐに想像がつく。でも、私は今回、初めてボランティアに参加した。この課題に気づくことができたが私も今まで動かなかった。動かなかったではなく、動けなかった。ボランティアが人で不足という現状を知らなかったのもあるが、物事に縛られすぎていた。学校や部活、仕事。私だけでなく、日本人は物事に縛られすぎていると感じた。

車の中で、真備町について話を聞いていたらあっという間に集合場所に到着した。最後に全体で今日の感想を共有し、ボランティアが終わった。その時に、リーダーの方が「遊びに来る感覚でまたボランティアに来てください」とおっしゃっていた。僕もボランティアと聞くと、大変でしんどいイメージがあった。そうではなく、ボランティアが遊びにくるイメージで来れたらもっと人が集まると思う。ボランティアに来る人は、被災された地域が少しでも早く復興してくれたらと思う気持ちがあればいい。自分ができる範囲で活動することがボランティアでは大切だと確信した。

重機を扱い大がかりな作業をする人、家の庭の雑草を抜く人、なんでもいいから被災地のために行動することが今の被災地に必要でありがたいことだ。

今回の真備町のボランティアでは多くのことを学び、感じることができた。貴重な体験をさせていただき、ありがとうございました。

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