最終更新日:2022/10/31 (公開日:2019/07/06)

忘れ物をさがしに。-西日本豪雨から一年経った場所で、それぞれが感じたこと-

見たいものを見る。/白川烈

動物にとって、住処を変えるということはしばしば行われるそうだ。渡り鳥なんかは1年に何度か北から南へ、あるいは北から南へと渡る。オランウータンなどはその日暮らしで住処を持たない動物だと聞いたことがあるし、海ではなく貝を住処とするならば、ヤドカリなんてのはしょっちゅうお引越しを重ねるわけだ。

植物はどうだろうか。植物が住処を変えると書くと馴染みのないように聞こえるけれど、植物は基本的に住処を変えるということが生存戦略の中に組み込まれているようにも思う。虫たちに受粉をしてもらったり、種子を運んでもらうという意味合いでは、一世ごとに住処を変えていると言える。そういえば、「置かれた場所で咲きなさい」なんてのが言われたりしてたね。農作物だって、苗まで育てられたものを畑に植えたりすることも、住処が変わると言えなくはないだろうか。

ようやく登場するのが、ぼくたち人間。じゃあぼくたち人間にとって住処を変えるということは、いったいどういうことだろう?ぼく個人の感覚ではそう簡単に行なえるものでもないし、なにかきっかけがないとできない、そもそもしようと思わないことのように感じる。人間の住処を変えるときの特徴といえば、身の回りのものごと住処を変えることもひとつかもしれない。

道具を扱う人間にとって、なかなかその身一つで住処を変えることは少ないだろう。家ごと住処を変えることはむずかしいけれど、家の中身ごと住処を変えていく。持っていけないのは、その場所に根付いた思い出くらいかも。

「木を伐採して、そこにブロック壁を入れようと思うんです」

1年ぶりに訪れた岡山県真備町、浸水で基礎以外が引っ剥がされた中身のない家の裏で、家主であるお母さんはそう言った。今日ぼくたちのするボランティアは、木の移植というボランティアのイメージとは少し離れた内容。聞けば、家の裏に何十年も前から生えていたという木を庭に移してほしいんだそう。

そして木があった部分に、水害の備えとしてブロック壁を新たに建てるそうだった。立派な木を移してまで壁を建てたいというお母さんの考えに、1年前の水害の残り香を感じざるをえない。

作業をすること、約2時間。無事、裏にあった木は庭に移された。移された後の家の裏には、木があったぶんだけのさみしさが漂っている。ここに、新しいものが建つんだ。また新しく生活を始めるために。

「木のぶんだけ、なんだかさみしく感じてしまいますね」作業が終わった後、こっそりとお母さんに話しかけた。特に意味はなく、ぼく自身の感情の吐露にほかならない。するとお母さんは、微笑みながら返してくれた。

「本当は、全部伐採しようと思ったんですけどね、やっぱりこの1本だけは残したかったんですよ。どうしてもね、思い入れがあるからね」そう言いながら微笑むお母さんの目は、木をまっすぐに見つめている。この1本だけ残した木は、お母さんが前を向いて歩いている何よりの証拠なんだと思った。そうして、災害の跡ばかりを探していた自分が恥ずかしくなった。

被災地という場所において、被害の様子だったり、荒れ果てた跡地を写真に収めたり、目についてしまうものだけを見るのは誰だってできることだろう。中途半端に復興している途中だと、粗探しをするように余計にそんな部分を見付けてしまいたくなる。そうして義務感のように発信したことたちが、それらを見る人にさらに重苦しい雰囲気をおすそ分けしてしまう。

それよりも、その景色の中で前を向いている人たちを、希望を見つめることを止めない人たちを探すことのほうが、よっぽど尊いんじゃないか。目立つところばかりに目は行くけれど、ほんとうに見つめないといけないところに目と耳とこころを向けることのほうが、むずかしいし、大切なことのように感じる。そんな気がしてならない。

結局ぼくらは、見たいものしか見ないし、見たいものしか見れないのだ。どこに目を向けるのか。どこに目を向けたいのか。西日本豪雨という災害から、1年が経った。災害から1年が経ったけれど、その土地は何千年も続いているし、そこに住む人たちは、何十年も住んでいる。

向いてしまう方ではなくて、向きたい方を見よう。それは、きちんと自分のなかで選べることのはずだ。
1年が経ったその場所に、おれはなにを見る?なにを見たい?

(完)

め組JAPANの皆様、取材にご協力いただきありがとうございました!
ボランティアへ行ってみたくなった方はこちらまで→め組JAPAN(NPO法人 MAKEHAPPY)

  • \ あなたの災害リスクがわかります! /

    詳細を確認する