2020.01.23

災害食を通じて災害弱者を救う!前編|エコ・ライス新潟×阪大生

written by Minori Seko

~防災を学ぼう~大阪大学連載記事3本目!

今回は現役阪大生の4人が多くの人々の“命”を救う“災害食(非常食)”について取材してきました。

ご協力いただいたのは、新潟県長岡市でコメの生産や加工を手掛ける

「有限会社エコ・ライス新潟」代表取締役の豊永有さんです。

エコ・ライス新潟は農家が集まり設立された会社で、有機栽培による品質に絶対の自信をもつお米から、災害弱者に配慮した災害食の“アルファ米”を生産し、非常時でも安全安心な食事をとれるよう、普及に取り組んでいらっしゃいます。

災害食を通じて災害弱者を支援する熱い想いをお聞きすることができました。

【そもそも非常食、保存食ってなんだろう】

阪大生「豊永さん、本日はよろしくお願いいたします」

 

豊永「よろしく、お願いします」

 

瀬古「本日は、非常食をテーマにお話を伺おうと思い、伺いました!」

 

豊永「いきなりですけど、非常食とか、保存食とかの定義ってなんだと思います?」

 

吉本「最初に思い浮かぶのは保存料が入っていて、長期間保存できるものでしょうか?」

 

瀬古「災害時に備えて、備蓄することができて、ライフラインが整っていなくても食事ができるものという点で、賞味期限が長いものとは線引きがされている印象です。」

 

豊永「なるほど。実はいま最前線では、非常食ではなく“災害食”って言い方に変わってきてるんですね。非常食というのは長期間もつというイメージだったんですけど、そうではなく、日常でも(非常食を)活用していくという風に考え方が変わってきているんですよ」

 

(エコ・ライス新潟の事務所にて)

 

妻鹿「え、そうなんですか」

 

豊永「なぜかというと、行政などに備蓄されている非常食というのはある意味[食べないこと]を前提としたデッドストック(不良在庫のこと)なんです。備蓄した食品を廃棄するのにも手間がかかり環境への負荷もかかる。日本災害食学会の考え方としても「(常温で)賞味期限半年以上の食品」はすべて災害時に使えるといわれているんです。」

 

瀬古「カップラーメンとか、水を入れて1時間もすれば食べられるって話題ですよね。」

 

豊永「デッドストックから、常に食べながら備蓄もしていくローリングストックにしてくことが必要で、「長ければいい」という考え方は変わってるんです。」

※ローリングストック…普段から少し多めに食材、加工品を買っておき使ったら使った分だけ新しく買い足していくことで常に一定量の食品を家に備蓄しておく方法。

 

大崎「保存料については、いかがですか?」

 

豊永「保存料についても、非常食は保存料を使っているとは一概には言えなくて、私たちが作っている5年半もつ食品はほとんど一切つかっていないんですよ。製造時の殺菌や、酸素をカットすることで酸化させない、包装資材を使って光分解させない、そういう生産技術や保存技術が進んできているおかげですね。保存料が多く使われているのは実は賞味期限が短いお弁当とかなんです(笑)だから保存料うんぬんというのは、保存食とは関係ない」

 

吉本「ライフラインについてはいかがですか?」

 

豊永「ライフラインのお話をされていましたけど、ライフラインが整っていても災害食が役にたつ場合があって、それはパンデミック(感染症などが広い地域で同時かつ爆発的に流行すること)が起きた時ななんです。最近で言うと、エボラ出血熱とかSARS(サーズ:重症急性呼吸器症候群)とかね。ライフラインが整っていても要リスク者のいる施設とかはすべて死んでしまうですよ。外から入れない、中からも出さない。そういうときに役立つものが、災害時にも食べられるものなので、実は災害食(非常食)というのはどんどん進化してきてるんです。」

 

使わないことが前提の「非常食」から、日常的に食べられる「災害食」へと進化をとげてきてる。

非常食といえば、カンパン!のような想像をしていた私たちには冒頭から驚きの連続だ。

 

【エコ・ライス新潟が届ける災害食】

吉本「どのような製品を作られているんですか?」

 

豊永「たとえば、わたしたちが初めて作ったのが「はんぶん米」ってものなんですよ。透析患者のなかでは「はんぶん米」っていうのは有名で、たんぱく半分、カリウム半分なんですね。これを透析患者用って書くとこれは、薬事法とは6つの法律にひっかかっちゃうんですけど、だからこれはすごく考えていて、はんぶん米(っていう名前)だってこれはたんぱく質半分だって、ピーンとわかるようけど表示はしないようにしたのと、ごはんが半分だっていうのでこれは、理由をつけて販売しているんです。デザインもユニバーサルデザインで」

 

このように、エコ・ライス新潟は、通常のコメを食べられない人(透析患者など食事制限のあるひと)でも食べられるたんぱく質の少ない「はんぶん米」や「みんなのごはん」といったアルファ米(お湯や水をいれるだけで簡単にたべられるお米)を災害食として製造している。

どちらもパック入りの商品で、アレルギー物質等27品目を含まない。また米粉から作った「ライスクッキー」も製造しており、こちらも小麦等のアレルギー物質等27品目を含まないことから、アレルギー児のおやつとしても食べられるそうだ。

(はんぶん米 食事制限の必要な人が、1食で食べきれる量(従来の半分)。明かりのない場所でもわかるようなユニバーサルデザインとなっている)

【災害食の開発のきっかけは、2004年中越地震】

大崎「もともとはコメ農家が集まった会社で、コメの生産をされていたそうですが、災害食を生産されるようになったきっかけはなんだったんですか?」

 

豊永「中越地震のときにね、人口に対して指定避難所が少なくて、指定外の避難所とか自主避難所が200とか300か所できて。そういうところって職員も防災に携わっているわけではないし、行政の手がまわらないからそういう人たちのところを回っていたんですよ。避難所に行ったら、おじいちゃんおばあちゃんばっかりで。自分に子供が4人いたんで、子供がたくさんいると思っていたんだけど、、、行ってみたら○○さんち、寝たきりのおじいちゃんいたの!?とか、胃瘻とか透析とかアレルギーとかでそういう人たちが(支給された食事を)食べられないとか初めて知ることばかりだったんです。」

 

瀬古「たしかに、そういうひとたちだって当たり前かもしれないけど避難してますよね」

 

豊永「それで、持病が悪化して地震後に透析になっちゃったりとかね。

自分たちはいままで日本で一番お米のいいところで、その中でも有機栽培や鴨農法をやっていいコメを作っている自負があったけど、コシヒカリを食べられない人が増えてくる。

そういう人たちが食べられるものはこれから社会でどんどん必要とされて、役立つからそういうものを作っていこうと考えて、食品開発を始めたんです。(食事制限などで)食べられない人たちが、すごく悲しい思いをしたり、つらい思いをしなくて済むようにしたかった」

 

妻鹿中越地震での経験が、災害弱者を守るための災害食づくりへと繋がっていったんですね。要配慮者向けの備蓄について、行政などに働きかけなどされているんですか?」

 

豊永「基本的に行政の役割は、緊急時に命をつなぐ最低限のものをもつことで、県とか中間の役割の機関は自分のところの職員がヘッドクォーターとして動くためのものしかもってないんです。だから、災害時であっても基本的に“自助”が必要なんですけど、アレルギーとか透析とか自分で備蓄できない、もって逃げることができない人たちのものをベースとして揃えてもらうように知事会などで働きかけをしたりしてます。」

 

吉本「行政へのはたらきかけもされてるんですね」

 

豊永要配慮者が食べられるものはなにを食べても大丈夫な健康な人ももちろん食べられるからね。かなり多くの自治体で入れてもらえるようになったけど「一部のひとだけを特別扱いできません」っていうところもありますね」

 

大崎「行政での備蓄は進みつつあるものの、まだまだ地域差があるんですね。」

 

(勝田のわかめごはん わかめが別包装のため、塩分調整を各自で行える。東日本大震災で被災した宮城産のわかめを使用しており、水産業の復興支援にもつながっている)

【弱者にこそ適切なケアを!災害食を現場に届ける】

それ以外にも取り組みなどはされているんですか?という問いかけに対し、東日本大震災や熊本地震の際には、翌日から豊永さん自ら被災地に赴き、はんぶん米やライスクッキーを直接、被災者に届けたそうだ。

 

豊永「ただ単に食べるものがあればいいんじゃなくて、モノを食べてもらうためにどうするかが大事で。支援物資が本当に必要なひとのところには手渡しじゃないと届かないんです。東日本大震災のときに、ある被災していない自治体がアレルギー対応のアルファ米を備蓄していたから、要請したら宮城に送ってくれたんですよ。

 

吉本「そうだったんですか!」

 

豊永「だけど送られた先が消防大学校で、仕分けをするのが自衛隊で。薬事法や健康増進法とかの規制の関係上、箱に透析患者用とか書けないもんだから、一般の食料だと思ってまぜて仕分けされちゃって。あとから追いかけて探しにいったんですけど、もう全然わからなくなっちゃって。本当に必要な人に届けることができなかったんですね。避難所とかも、運営しているのは日中は中学生と高齢者ばかりだから、仕分けを確実に行うことが難しい。大混乱を呼んで、結局青森のしたからずっと配って回りましたね。

 

一同「豊永さん自ら配布して回られたんですか!?すごすぎる……」

 

豊永「いやーあれはねぇ、大変でしたねえ(笑)東日本(大震災)のときにアレルギーの患者を探せなかったので、熊本地震の際にはこういう形(facebook)で、SNSでアレルギー児を探しました。これはピンポイントで探せたんですよね」

 

 

瀬古「たしかにSNSは若い母親世代と親和性高いですもんね」

 

吉本「災害時の支援というと、日本赤十字とかも思い浮かぶんですが、そういう機関と連携とかされているんですか?」

 

豊永「基本的に連携はしていなくてフリーランスでやってるんです……」

 

避難所をまわり、物資を届ける活動をフリーランスでやっているとは、どういうことなのか?

あえて、フリーランスで活動するワケとは…

熱い思いを後編でも語っていただきます!