遠く離れた市との絆

東日本大震災岩手県大船渡市に関する相模市インタビュー

東日本大震災によって大きな被害を受けた岩手県大船渡市。

大船渡市 ロゴ

岩手県大船渡市。東日本大震災で大きな揺れと津波の被害を受けた。「21世紀に残したい日本の自然百選」の自然公園などを有し、碁石海岸は「日本の渚百選」にも選ばれている自然豊かで風光明媚な見所のある県である。

東北地方全体がダメージを受けている中、大船渡市に素早く支援を行なった5つの市がありました。

その市のうちの一つの神奈川県相模市へのインタビュー内容を紹介します。

“大船渡市民を相模原市民だと思って行動してほしい”

──まず大船渡市への支援の決定はどのようにされたのでしょう?

笹野氏 大船渡市とは、阪神淡路大震災を契機として銀河連邦の構成市町による相互応援協定を締結していました。東北太平洋沿岸で甚大な被害が出ているとの情報を得たので、この協定に基づき、大船渡市を支援することを決定し、3月13日の夜に第1便の支援物資を積んだトラックを出発させました。

東日本大震災大船渡市相模市物資支援

支援物資については、相模原市長が大船渡市の副市長と連絡をとって、医薬品や食料、日用品等が必要となっていることを確認しました。 相模原市でも一部の物資が不足している状況だったのですが、市長が“大船渡市民を相模原市民だと思って行動してほしい。市内の業界団体の方にも直接お願いしよう”と庁内に対して号令をかけました。また、各団体の方も集めて、市長から、“相模原市も物資が不足している状況だが、とにかく大船渡市に物資を送るのを手伝ってほしい”とお願いをしました。この呼びかけに35団体が呼応してくれました。トラック協会相模支部はトラックを出してくれたり、市商店連合会は物資を集めてくれたりしました。もちろん市で備蓄していた毛布や食料品等も出しました。こうして3月13日の夜に第一便の支援物資のトラックを出発させました。

 

”変わり果てた大船渡市を見て”

東日本大震災大船渡市の変わり果てた姿

──相模原市で民間の方々が多く協力してくれたというのは市長の呼びかけがあったからなのですね。

笹野氏 そうですね。また、それに加えてそれまでの銀河連邦としての交流があると思いま す。例えば市商店連合会では、銀河連邦を構成する他市町の物産展で出店し合ったりして、商業者同士がよく知っています。大船渡市にはきれいな海、景色があって、お祭りにも行かせてもらったりしていた。そうした景色を見て知っているのに、あの強烈な被害映像を見ているわけですから、何かしなければという焦燥感にも近い思いもあったと思います。

近い自治体同士のお付き合いはあると思いますが、今回のような災害の時には離れた被災していない自治体の協力が効果的でした。銀河連邦には、北は北海道大樹町から南は鹿児島県肝付町まで参加していて、こうしたお付き合いがあったことで、協力できる立場にありました。

 

”バトンリレーのように引き継がれる調整役”

──その後、長期間滞在する調整役として最初に渋谷さんが任命されていますが、こうした担当を置くこととなった経緯を教えてください。

渋谷氏 4月中旬に笹野部長らが状況を把握するために現地に行き、その結果を受けて調整役を置くこととなりました。

笹野氏 4月12日から15日まで総務部長と大船渡市へ行きました。このとき、銀河連邦の他の自治体もどのように大船渡市と関わっていけばよいのか戸惑っていました大船渡市に一つ一つ窓口を作ってもらうのは大変なので、大船渡市に人を1人送るのでその職員が全ての話し合いの窓口になりますということを提案しました。 相模原市からは3月18日頃からほぼ毎週、定期的に10人前後の人を送り込んでいました。このため、窓口となる渋谷さんには、職員の派遣期間についてもどの程度がよいのか調整をしてもらうことにしました。

──渋谷さんはどういった業務をしていたのですか。

渋谷氏 当時の私の主な役割として、体育館の物資集積所での業務以外に何かできないかを探るというものがありました。ちょうど5月頃から、義援金の事務へ人をお願いしたいという話がきましたので、物資集積班で来ていた相模原市職員のうち、何人かをそちらの方へ回したりして、次第に事務支援にシフトをしていく時期となりました。また当時、毎日夕方に行われていた記者会見にも参加させてもらって、市の情報を把握するようにしていました。

 

──その後、5月22日から相澤さんが派遣されますが、渋谷さんと相澤さんの派遣時期は一部重なっていますね。

笹野氏 渋谷さんから、交代ではなく早く来てもらって数日間一緒に行動をして引継ぎをしたいと提案があったのです。

相澤氏 大船渡市を訪れたのは今回が初めてで、土地勘もありません。そうした中で、現地の状況を確認するとともに、課題になっていることを把握する必要がありました。このため、 数日間でも前任の渋谷さんに案内してもらうことで引継ぎが円滑にできました。

──相澤さんはどういった業務をしたのですか。

相澤氏 私が派遣された当時、大船渡市と協議の上、 7月以降に中長期的に技術者等を派遣したいという意向がありました。当初は1週間毎に職員を派遣していたので、今後技術者等を派遣するにあたり、状況を報告する必要がありました。

東日本大震災大船渡市相模市物資集積所

また、物資集積所には物資が多くあるのに、 その先にうまく物資が流れていないのではないかという課題がありました。

大船渡市では復興計画の骨子案を6月市議会に説明し、かさ上げと高台移転の方向性が議論 となっていました。復興計画の住民説明会においては、復興計画よりもまずは物資だとか、体育館を早く開放してくれとか、目の前の生活に対する要望が多くみられました。こうして、現場や住民、議会の状況を把握していきました。

相模原市長からは、“大船渡市民は、相模原市民だと思って、現地で判断するように”と指示されていましたので、市内に6カ所くらいあった集積所を市民体育館に集約することを現場で判断させていただきました。当時、市民体育館は遺体安置所として使用されていて、ご遺体が10体ほど安置されていたので他の場所に移させていただきました。そして、物資を入れるためには人手が必要となるので、派遣職員やボランティア、最終的には自衛隊の力も借りました。

一方で、親戚の家に避難している方も多くいたので、そうした方にも物資を配布するため に、市民体育館のテニスコート等で救援物資の配布を行うこととして、その段取りなども行い ました。

第一段階は短期派遣でいいのです が、第二段階になって中長期派遣に切り替える必要が出てきていました。支援物資を分散したまま管理するのではなく、期限を決めて一カ所に集約することで人的な余力もできます。そこを次の技術者の派遣等に切り替えていくようにしました。また、これによって体育館が子供達に使われるようになるし、地域の人達が集まるコミュニケーションの場としても活用できます。私はこうした物資集約を行って、派遣期間を終えました。

 

”1億8000万にものぼった相模市からの義援金”

銀河連邦構成市町による支援

──大船渡市では、相模原市からも大量の物資を調達してもらったということを聞いていますが、その際の予算はどのように確保していたのですか。

笹野氏 予算は当初は予備費等で対応してい ましたが、その後、議会において補正を組んで確保しました。さらに、相模原市では大船渡市に限定した義援金「頑張れ大船渡 銀河連邦 応援金」を募りました。市民等からすごい勢いで義援金が集まり、平成26年8月末までに1億8千500万円にのぼっています。市民にはそれだけの気持ちがあるので議会で予算を通す際も通しやすかったのだと思います。

 

”支援される『準備』が必要”

銀河連邦構成市町による支援

──大船渡市への支援を通して相模原市として災害対応等の教訓として得たものは何かありましたか。

笹野氏 大船渡市さんが困られていたことが、そのまま私どもの教訓になりました。阪神淡路大震災で被災された神戸市の方もよく言われることですが、災害時に応援を受ける受援計画をつくるということがあります。災害発生時に、どこに対して支援を求めて、どこでどのように受け入れ、活用するかということをあらかじめ整理して、そのための体制と施設を準備しておくということです。

さらに、復旧や復興のための計画にいかに早く取りかかるかということも大切です。こうしたことが本当に教訓になりました。この4月に相模原市防災条例を制定したのですが、これらのことを反映させています。受援の体制をつくっておこうということと、復旧復興は計画的に速やかにつくるということです。

さらに、岩手県では内陸部の遠野市に拠点を設けて後方支援を行っていました。相模原市も内陸部の交通結節点であり、こうしたやり方を参考として、在日米軍の施設であった相模総合補給廠(平成26年9月に日本に返還)を後方支援の拠点を含めた防災拠点とすることを国に要望しています。これもまさに今回の震災を教訓としています。

 

”大船渡市民と生まれた絆”

──支援業務の中では大船渡市民と直接接する機会はあったのですか?

渋谷氏 ありましたね。個人的なことになるかもしれませんが、末崎町の宿舎の近所の方々には、毎晩のように差し入れをいただきました。今でも親戚づきあいのようにさせていただいていて、大船渡市に行くと必ず挨拶に伺います。他のところでも、相模原市から来ましたというと、多くの方から感謝の言葉をいただいたのですが、逆に我々も色んな意味で本当に助けていただいたと、とても感謝しています。

 

”最大の支援は継続して訪れること”

──大船渡のことは今でも気になりますか?

相澤氏 そうですね、今でも現地の新聞を送っていただき、購読しています。

渋谷氏 私も大船渡市関係のホームページは毎日チェックしています。また、走ることが好 きなので震災以降再開されたポートサイドマラソンに参加させていただいています。

笹野氏 お手伝いで大船渡に行った者たちが 今でも大船渡へ行っているというのは結構多いですよ。最大の支援というのは継続して足を運ぶことだなと思いますね。

──最後にこれまでの取組の中で印象に残っていることや大船渡市へのメッセージなどいただけますか。

相澤氏 私は御礼のお手紙をもらったことがとても印象に残っています。大船渡でお子さんを持っている方からのお手紙で、被災して子供たちの遊び場がなくなったところを、相模原市の方々が一生懸命やっていただいて体育館をオープンにしてくれたおかげで子供たちも安心して遊べるようになったというものでした。とても感激して相模原市長まで報告させていただきました。おそらく銀河連邦の活動を大船渡市民の方々がどこかで見ていてくださったのかなと思います。

渋谷氏 現在も職員の長期的な派遣が続いている状況で、これら派遣職員に対して大船渡市から気遣いを非常に多くいただいていて、本当に感謝しなくてはならないと思います。また、 私にとって大船渡は第二の故郷のような感じになっていますので、個人的にもずっと何らかの形で交流していきたいと思っています。

笹野氏 震災はとても悲しい出来事でした が、こういうことがあって我々の「絆」は、なおさら深まったのではないかと思います。災害は別にしても、この交流がずっと続くことを切に願っています。銀河連邦の絆はこれからも大切にしていきたいと思います。

内容は全て許可の元岩手県大船渡市災害記録誌より抜粋しています