2019.03.10

ぼくたちは、東日本大震災をよく知らない。

written by 烈白川

こんにちは。はじめまして。災害ジャーナルで特集とエッセイを担当しています、白川です。

 

ぼくは、現在フリーランスのライターとして活動しており、もう少しで2年になります。どうしてこの災害ジャーナルというメディアで書いているかというと、じつは3年前の熊本地震で熊本県阿蘇で1年ほど、支援活動をしていました。特に災害支援の経験があったわけではないのに、本震の次の日から、気付けば1年ほど熊本で支援活動をしていました。というのも、現在24歳、阪神・淡路大震災の2ヶ月前に神戸で生まれ、どこか災害というものに縁があるのかもしれません。

 

自分の中に偶然を見つけるのは勝手ですが、そうしたきっかけから、「災害」に関わることになりました。関わることになったといっても、未だに素人同然で、わからないことだらけです。

 

そうした災害に関する経験のあるライターとして記事を書いているわけですが、ある日、災害ジャーナルの社長 津田さんより、「そうだ、烈さん 3,11の東日本大震災の特集つくってよ」とお願いされました。

 

正直、そのお願いをされたとき、ぼくはあまり乗り気ではありませんでした。あれ?どうしてだろう、と考えてみると、「きっと、東日本大震災について、ぼくはよく知らないからだ」という答えが出てきたんです。

 

というのも、今から8年前、当時のぼくは兵庫県で野球に打ち込む高校生で、東日本大震災の被害というものを、まったく実感していません。テレビでちょこっと見て「大変だなあ」と、とても遠い他人事のように感じていたくらいでした。

 

初めて東北へ訪れたのは、大学2回生のときです。
初めてこの目で見た、「なんにもない」という光景がずしっと心に乗っかったものの、そこで生きている人たちが前を向いていたからか、どちらかというと震災のことよりも、その人たちのことが心に残りました。

 

「熊本地震では1年ほど現地にいたんだから、すこしくらいはわかるでしょ?」と言われればそうですが、熊本地震と東日本大震災をいっしょくたにして語ることは、すこしちがうことかもしれません。もちろん「災害」という意味では一緒かもしれませんが、物語も人たちも、抱える思いすらも、なにひとつ同じものはないのだと思います。

 

話は変わりますが、ぼくは熊本地震での経験から、震災のことを伝える機会に呼ばれることが多くなりました。恥ずかしい話ですが、当時のぼくは熊本地震に対して、みんながなぜ興味を持っていないのか、なぜ現地に来て力になろうと思わないのか、不満をぶちまけるような話をずっとしてきました。今でこそ、あのときはあのときで精一杯だったんだろうなと思えますが、きっと知らない誰かを傷つけてしまったこともあったと思います。

 

そうした伝える機会が増える中で、すこしずつ気付いていったことがあります。
それは、「興味がないんじゃなく、どう向き合ったらいいのかわからない人が多いんだ」ということ。

 

「当事者でもない私が震災のことについて何かを語ってもいいのだろうか」

「どう向き合えばいいのかわからず、何もできない自分に心を痛めてしまう」

 

そんな人たちが多いということ。
そして、それはそのまま、ぼくが東日本大震災に対して抱えているものとおんなじでした。

 

「よく知らないから」「わからないから」と思いつつも、ぼくは災害に関わった人間のひとりとして、また日本で生きる1人として、東日本大震災のことをきちんと知っておきたいという気持ちがあります。
同時に、「当事者でもないぼくが、何を言えるというのか」という気持ちだって、もちろんあります。

 

けれど、「わからない」と言うことは、とても簡単だと思ったんです。
「わからないままでいること」は、とても簡単だと思ったんです。

 

わからないから、知らなくていい。
わからないから、語らなくてもいい。
わからないから、深入りしなくてもいい。

 

けれど、今回の特集を組むことになったことをきっかけに、すこしずつ向き合っていきたいと思っています。
いきなりすべてを理解したり、なにか大きなことができるわけではもちろんありません。

 

でもすこしずつ、自分なりに考えてみたい。
自分なりに、向き合ってみたい。

 

こうした問題は、きっとわかりやすい1つの答えがないから、難しいのじゃないでしょうか。
答えがいくつもあるような気がするし、そもそも答えなんてあるのかもわからない。

 

けれど、「難しいことだよね」と簡単に言い放つより、はっきりと「わからない」と言いたい。
「わからないふり」をするのではなく、何がわからないのか、何が難しいのかを、きちんと理解したうえで、「わからない」と言いたい。

 

まだ仮縫いのような答えですが、被災しなかった人たちが一番悩むのは「向き合い方」じゃないかなと思っています。ぼく自身、熊本で過ごした1年間はもちろん、そのあとも、この災害ジャーナルの記事を書くときも、「ぼくはそもそも、どういうスタンスで向き合っているんだろう」と考えることが多くあります。

 

被災された方々はきっと、向き合う暇なんてなかったんだと思います。
向き合う暇なんてないくらい、目の前のことをやるしかなかった。

 

たまたま被災しなかったぼくたちだからこそ、向き合い方に悩む。悩んでいいことだと、思ったんです。
それならば、めいっぱい悩んでみよう、と。

 

そんな想いから、東日本大震災から8年経った今、災害ジャーナルでは「東日本大震災と、どう向き合うかをみんなで考えていく」をテーマに、特集を組んでみることにしました。

 

それがこの、「ぼくたちは、東日本大震災をよく知らない。」です。

 

 

この特集を組むにあたって、皆さんにひとつお願いがあります。

 

 

「今現在、それと どう向き合っているか」

「東日本大震災をどう捉えたらいいのかわからない」

 

そんな人たちに、ぜひそのままを教えて欲しいのです。

震災との向き合い方がわからない、どこかふわふわとしていて、今でもときたま考えている、そんな人たちの、そんな思いをぜひ募集してみたいと思います。年齢制限はありません。何文字以上以内というのも、ありません。いただいたメールは、きちんと全部読ませていただきます。(もしよければ、あとで紹介させていただくかもしれません)

 

向き合い方に悩んでるんだから、言葉にできない人がほとんどだと思います。けれど、きちんとした文章じゃなくても構いません。未完成で考え中のそれを、ぜひ聞かせて欲しいのです。

ぜひ、書いていただける方はこちらまで、お願いします。
とくに、期限はもうけません。
(匿名で構いません。もしよろしければ、性別と年齢だけでも記入していただければと思います)

 

saigai.jyohou@gmail.com

 

 

 

ぼく自身、まだまだわかりません。
この特集を組む事をきっかけに、いろんな記事に目を通してみたり、それっぽい動画を観てみたりしました。わかることもすこしずつ増えましたが、そのぶんわからないことはいっぱいに広がりました。それでも、どこか気持ちがいいのも事実です。今までどこか見て見ぬ振りのようにしていたことを、知っていけたり、わからないと言えたりする。

 

どう向き合えばいいのか、いっしょに悩みましょう。考えましょう。8年経った今、そのことがもしかすると、被災していない人のできることなのかもしれません。

「私は被災していないし、よく知らないから悩む資格がない」

そんなことはきっと、ありません。知らない人の記憶にだって、3,11という数字はどこかに残っているのだから。

 

 

 

 

(つぎに、つづきます。)