2019.02.12

「渡せなかったパン」

written by 烈白川

 

 

 

「パンを2つください。」4月16日の本震から2日後、その何でもない言葉に、一瞬固まってしまった。

 

 


 

2016年の4月14日。熊本県を中心に大きな地震が起きた。テレビ画面でその様子を観ていた僕はこのとき、画面に出てきた「震度7」という数字がまったく想像できず、ただカメラが揺れ、建物が崩れているカメラ映像を目にするだけだった。その「しんどなな」というらしい大きな揺れは一度のみならず、2日後の16日に本震という形でもう一度起きた。今度はもっと分かりやすく建物が崩れ、橋が崩壊し、人々の叫び声が画面を通して生で聴こえる気がする。ただテレビの前でぼうぜんと立ち尽くすことしかできなかったことを、今でも覚えている。

 

何が僕を動かしたのかは分からない。何かしないといけないという使命感なのか、立ち尽くすことに飽きただけなのか。居ても立ってもいられなくなった僕は、本震が起きた直後に大阪の家から車を走らせていた。すでに現地で指揮を執っていた友人のいる熊本県御船町のとある学校に入り、さっそく学校に避難する約800人もの人たちのお手伝いに回る。

 

正直に話すと、何をどうすればいいのか分からなかった。料理の仕方や自転車の乗り方が分からないといったことではなく、「何か力になりたい」と思い立って飛んで来たはいいものの、このときの僕は特に被災地で活動した経験があるわけではない。にも関わらず、ボランティアとして動ける人が少ないこともあり、体育館にある大量の物資や食料を、避難している方々に届けるという役割を任された。

 

例の「しんどなな」から2日にも関わらず、避難所には全国からおびただしい数の物資が届く。段ボールの箱で体育館の半分が埋まる勢いだった。
その物資を、食料だったり日用品だったりと仕分けしていき、どれくらいの数があるか把握する役割があって、現時点で避難所にいる人数などを計算した上で、”今日”使える日用品や食料が、僕のいる体育館に運ばれてくる。「しんどなな」からまもない避難所はそんなシステムで回っていた。

 

午後6時。避難している方々が夕食を取りに、ぞろぞろと体育館に列を作る。僕たちボランティアは、コの字にセットしたテーブルの上に今日配れる分だけの食料を並べて、1人1個ずつ手渡していく。そのとき、ボランティアを束ねている人から配給する役割の僕たちに、ひとつだけ注意があった。

 

「どんな理由があろうと、渡すのは必ずひとりひとつだけにしてください」

 

僕は最後のほうでパンを手渡す係だった。
ひとりひとり、できるだけ目を見て、してもいいのか分からないままの笑顔で、パンを手渡していく。流れ作業で後がつかえているから立ち話は出来ないけど、ひとことでも言葉を交わそうと励む。

 

手元にあったパンが半分ほどなくなった、そんなときだった。

 

「パンを2つください。」目の前のおばあさんが言う。景色だけ見れば、駅前のパン屋さんでのやりとりとなんら変わらないのがおかしかった。

 

「すみません。人数分しかなくって、ひとりひとつまでとなってるんです」
おばあさんの言葉に、テンプレートの答えしか返せない自分に胸が痛んだ。それに、おばあさんから次に出てくるであろう言葉はだいたい分かっていた。それを言ってくれないことを、最後まで望んでいた。

 

「実は、旦那が足が悪くて歩けないの。だから、旦那の分も合わせて2つ欲しいの」

 

嘘じゃないことなんか、聞くまでもなかった。それでも僕は、パンを1つしか渡せなかった。
渡せなかったパン1つ分の重さが、ずしんと心にのしかかった。

 


 

 

「だれもわるくないのに、だれかがきずついていた」

 

判断は人それぞれ。 当時の避難所のシステムは、被災してすぐなこともあり、避難している人もおおまかな数ぐらいしか把握できていなかったし、避難してくる人もまだ増えているときだった。 そのうち何人が動けないだとか、何人が要介護とか、まだ整う前の話。

そして、このシステム自体をどうこう言うつもりも毛頭ない。 もちろん嘘じゃないことも分かる。それでも1人に”それ”を許してしまうと、最後の人まで食料が回りきらなくなってしまう。実際に、明日も同じように食料が届くかは分からないのだ。最悪の場合を考えて、僕たちは動かないといけない。

 

いま考えても、誰も悪くないと思う。加害者はいないのに、被害者だけが存在しているような。 誰も悪くないが故に、傷つくことが”ここ”ではたくさんあるのだ。

 

僕はあのとき、パンを渡すことが出来なかった。そして、パンしか渡せていなかったのだ。パンよりもらってうれしいものだって、あったはずなのに。僕も少なからずそれを、持っていたはずなのに。

 

 

 

 

 

 

(白川 烈 「3.11 つむぐ」熊本地震エッセイ展示より)