最終更新日:2022/09/03 (公開日:2019/03/05)
「猫が死んでいた」
猫が死んでいた。
たぶん、車に轢かれたんだろう。 眼球が飛び出て、腸は露わになり、枠から出てきた絵のような臨場感がある。
あまり意味も分からないまま手を合わせて、冷たく、魂一つ分軽くなったその躰を両手で抱えながら歩道まで運ぶ。
歩道の横の地面に、両手で土を掘って埋めた。
「おまえに手を合わせて埋めるだなんて、おれたち人間のエゴだよなあ。でも、ごめんな」と土を掘りながら考えるように言葉を発する。
エゴだと分かっていながらも、土を掘る手を止めることはなかった。
猫は知らない。でも、おれがそうしたかったから。
どこかの漫画で似たようなシーンがあったことを思い出す。確かその漫画では、そのあとにこう言っていた。
『 たぶん俺も、こんな風に死ぬんだ 』
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崩落した阿蘇大橋を視察している途中で、道路のど真ん中で猫が死んでいた。
震災とは何の関係もありません。けれど、今でも心に残っていること。
震災で人が亡くなった。その一方で、猫が車に轢かれて死んでいた。
埋めたことに特に意味はない。手を合わせたことにも、特に意味はない。
ただ、自分がそうしたかったから。
魂一つ分軽くなった猫を抱えながら、”いのち”について考えた。 そんな僕を見て、たぶん猫は向こうで笑ってる。