「怖さ」だけでなく、「安心」にも目を向ける。

 

 

ぼくは、怖がりです。

 

 

むかし、親戚で集まってご飯を食べているところに、窓の外に揺れる火の玉が目に付いてしまい、親戚中に言い回った。「そんなわけない」と、親戚たちは窓をがらっと開けると、そこには風で揺れる赤提灯が…なんてことがあった。

 

 

それ以来、おばけを信じる前に必ず、本当におばけなのかどうかを調べるクセがついたんです。UFOの目撃証言だって、ライトをぐるぐるとしたらそれっぽくなったりだとか、人工的に作れるものが意外にたくさんあったりもした。おばけがいるかどうかは分からないけれど、怖がっている「それ」が本当におばけなのかどうか、何を怖がっているのかをハッキリさせないと、赤提灯にだって怖がってしまうと気付いたのは、その「火の玉事件」だったのかもしれません。

 

 

 

* 『人を動かすには、いくつかの方法がある。例えばひとつは、「こっちのほうがおトクですよ」などとメリットを提示してあげる方法など。いくつかある中で、ぼくがあまり好きじゃあないのが「こうしないと、危ないよ?」や「そのままだとキケンですよ」と、人の恐怖を煽る方法です。』ぼくの憧れている人が、こんなことを言っていた。

 

 

この話にぼくは非常に共感し、あえてメモに取らず、頭の中にきちんと残したものだった。この恐怖を煽る方法って、じつは生活の中にたくさんあるんです。ほんとに、たくさんある。こうした人を恐怖で煽って動かす方法を、ぼくは「脅し」と呼んでいて、ぼく自身がその方法で人を動かそうとしていないか、よく考えたりもする。

 

 

自分たちが災害に関するメディアをやるうえで、記事を書いていくうえで、気をつけないといけないことは、「恐怖で人を煽らない」
ここなんじゃないかな。どうしても、災害に関することを発信しようとすると、怖さを前面に押し出してしまうようなことが、多くなっちゃう。「大きな災害に気をつけてください」「油断しないようにしましょう」、どうしてもそればかりを書いてしまいがちなのが、この災害に関することなんだよなー。でも、そうじゃないと思うんです。「怖さ」ばかりに目を向けちゃうと、なんでもかんでも怖くなってきて、しまいには赤提灯すらも怖くなっちゃうんだよ。

 

 

 

だからできるだけ、「怖さ」ではなく「安心」のほうを向いて、ものごとを語りたい。怖さのほうを向いてしまうと、そこは暗くて先の見えないトンネルのようで、進んでも進んでも、怖さは消えちゃくれません。あれも怖い、これも怖いになっちゃう。それに「怖さ」ってのは伝染するし、人を巻き込んじゃうことがある。暗さや怖さにだれかを巻き込んで、いいことなんて起こることはないんだもの。それよりは、ちょっとでも「安心」のほうへ歩みを進めていきたいじゃない。

 

 

 

地震にしたって、台風にしたって、「ここまでやれば大丈夫」なんて言い切ることは、むずかしい。責任が取れないんだもの。だからといって、あれもこれもって怖さを煽っても、ただ怖がらせているだけになっちゃう。だからもう、基本的な対策だけきちんとしておいて、あとはもう「ここまでやってダメだったら、そのときはしょうがない」って、あきらめることも必要なんじゃないかと思うんです。だって、しょうみな話、行なえる対策以上の災害が来ちゃったら、ほんとうにどうしようもないんだもの。

 

 

だから、「怖さ」だけでなく、きちんと「安心」にも目を向ける。この考え方をぼくが知ったのは、糸井重里さんでした。糸井さんが書いていたことも、付け加えておこうかな。

 

 

『こんなふうに「怖さ」でなく「安心」のほうに向けてものごとを語ると、必ず「それを読んで油断した人が事故にあったら、どう責任をとるのだ。もっと警戒しろ」と言われます。誰も、油断していいなんて言ってないわけで。過剰に緊張していることは、人間、できないものです。ここまでの危険の可能性がある、と知って、あとは、覚悟だけしておいて、徐々に日常を取り返すしかないと思うのです。また襲ってくる、油断するな、と過度に言いたがる人は、復旧に向けて、道路を直している人たちだとかにも、同じことを言うのでしょうか。』

 

 

 

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わざわざ、よんでくれてありがとうございます。
情報を知ることと、心に届くことはちがうんだ。

 

 

 

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