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最終更新日:2022/09/03 (公開日:2019/02/26)

「責任とは何か」

 

「責任」という単語を目にするとき、僕はいつも、熊本県阿蘇の狩尾という地区の区⻑さんを思い出す。後藤区⻑という、細身ながらにきちんと筋肉がついているような、いかにも農家さんという風貌をした区⻑さんだった。

 

 

「みんな怖がってよう話しにいかんけぇ、わしが聞いてあんたらのところに連絡ば入れりゃあええ」

 

 

ボランティアといえど、よそから来た者には変わりない。どうしても信用してもらうには時間がかかるものだった。もちろん当たり前といえば当たり前なのだが、 そんな中に僕らを一番に信用し、地区のお困りごとをかき集めて連絡をくれたのが、後藤区⻑だった。

 

後藤区⻑のいる狩尾地区は、ほとんどの人が農業を営む地区だった。田んぼと畑しかないような、見るに清々しい地区だ。 そもそも阿蘇は、観光業と農業が主幹産業であり、農業に関しては就業人口の25%、働いている人の4人に1人が農家さんという土地だった。

 

そんな狩尾地区は、見た目にはそこまで震災の爪痕が残っていないように感じる。
だがそれはあくまで「見た目」の話であって、田んぼに水を引くための用水路が壊れていたり、地割れで畑が使い物にならなくなっていたりと、目に見えない被害がたくさんあるのだ。

 

僕たちはまず優先的に、そうした農家さんたちのサポートに入ることになる。

というのも、農業には植えたり収穫する時期があるので、僕たちがお手伝いをして間に合うものと間に合わないものがある。稲を植える時期までには、なんとか田んぼを使えるようにしなければならない。もし作付けが出来なかったら、農家さんたちは来年の収穫が0になる。それはすなわち、来年の収入が0になるのを意味するのだ。

 

後藤区⻑が、そんな農家さんたちと僕たちの間に入り、農家の知識と人間関係で優先順位をつけて繋げてくれたことで、僕たちも何件もの農家さんの力になることができた。農家さんからもたくさん、心から感謝の言葉をいただいた。なかには、水を張った田んぼを見て、涙する方もいた。ただ、もちろん間に合わなかった農家さんもあったのも事実だった。

 

作付けの時期が終わり、農家さんたちがぜひお礼にと、ボランティアの皆さんに食事を振る舞ってくれ、懇親会を開いてくれた。

僕たちはぜひ、そんな農家さんたちを繋げてくれた後藤区⻑にこそ、懇親会に来て欲しいと思い、懇親会の前に後藤区⻑の家を訪れた。そこには、驚くような光景があった。

 

後藤区⻑の家が崩れているのだ。
2階部分は斜めでぺしゃんこに近い状態になっており、全壊ではないものの、決して人が住めるような状態ではなかった。屋根が落ち、1階部分はどうにか保っているものの、いつ音を立てて崩れてくるか分からない。

家の向かいには牛舎があり、牛舎の横にいつも後藤区長が乗っていたトラクターが止まっていた。
もしやと思い牛舎の中に入る。牛の独特な匂いと草や肥料や糞の混じってた独特の臭いが鼻を突く。案の定、後藤区長は牛舎の中にいた。けれど僕が目を奪われたのは、牛舎にいる牛でも後藤口調でもなかった。

 

後藤区長の横には、テントが張られていた。さほど大きくない、せいぜい2人が寝れる程度のテントだ。そのテントを見て、ぜんぶ理解した。

後藤区⻑は家が崩れて住めない状態なので、牛舎にテントを張って生活していたのだ。
その光景を目にしたのは、震災から3ヶ月以上経ったときだった。

 

その光景を見て、涙が止まらなかったのを覚えている。涙を拭くこともせず、後藤区⻑に尋ねた。

 

 

「どうして言ってくれなかったんですか」

 

 

「家はどうとでもなる。そんなことよりも、田んぼの方が先じゃ。それが、わしの区⻑としての責任でもある」

 

 

自分の家の話なんて、一言もしてくれなかった。 後藤区⻑から入る電話は必ず、農家さんのお手伝いに行ってやってくれとの電話だった。逢えばいつも、後藤区長の紹介でボランティアに行った農家さんの状況を聞かれた。 後藤区⻑がいなければ、作付けが出来なかった田んぼが相当な数あったと思う。

 

 

 

端から見た誰かは、これを「自己犠牲」や「身を削る」なんて表現をするかもしれない。 僕は後藤区⻑の言葉を思い出す。

 

 

「これが区⻑としての責任じゃ」

 

 

自分の責任は何なのかと考える。 男として? 息子として? 人間として? NPOの現地責任者として? 白川 烈として? おれには、なんの責任が乗っかっているんだ?

 

目には決して見えない「責任」が目に見えたあの光景が、度々頭の中でフラッシュバックする。

 


 

 

「わたくしどもは、あたりまえのことをしたまでです」

 

 

東京に仕事で訪れ、あるホテルに泊まった際に、部屋に忘れ物をしたまま出てきてしまった。忘れたことにすら気付かずにいると、後日それが家に届いた。ホテル側が親切にも、チェックイン時に記入した住所に郵送してくれたのだ。すぐさまお礼の電話をかけると「わたくしどもは、あたりまえのことをしたまでです」と一言。それ以来、東京で泊まる際はできるだけそのホテルに泊まるようにしている。

 

責任というのは、もしかするとこういうことなのかもしれません。何の責任もないと言い張ることもできるでしょうし、責任などというものは本来は無いものなのかもしれません。しかしだからこそ、わたしたちは責任というものを考えてしまうのかもしれない。当たり前のことを当たり前にするように、動けばいいのかもしれない。困っている人を見たら手を差し伸べるということは、あなたの当たり前でしょうか。

 

 

 

 

 

 

 

(白川 烈 「3.11 つむぐ」熊本地震エッセイ展示より)

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