不屈の消防魂

東日本大震災大船渡市消防団長インタビュー

東日本大震災によって大きな被害を受けた岩手県大船渡市。

大船渡市 ロゴ

岩手県大船渡市。東日本大震災で大きな揺れと津波の被害を受けた。「21世紀に残したい日本の自然百選」の自然公園などを有し、碁石海岸は「日本の渚百選」にも選ばれている自然豊かで風光明媚な見所のある県である。

発災時、この市では様々な機関の人々が人命救助や安全、復興のために奔走しました。

その中で、日頃から地域の一部として市民の安全に関わることの多い消防団

あの激動の中彼らがどう活動して、何を見たのか。その一部始終を紹介します。

以下は(当時役職)大船渡市消防団長 今野さんへのインタビュー内容です。

”渋滞に巻き込まれながらも会社に到着”

東日本大震災大船渡市末崎町出典:大船渡市 東日本大震災記録誌

 ──3月11日の地震発生後の動きから教えてください。  

地震発生時、私は、仕事で末崎町にいました。大津波警報が発令されたので、会社に戻ろうと盛町に向かいました。そして、渋滞に巻き込まれながらもなんとか、会社に到着し、社員全員が避難していることを確認して、消防署に向かいました。

 私は、消防団本部に集まってきた団本部の団員2名に徒歩で市役所までの状況を確認するように指示するとともに、各分団との連絡をどのように行うか協議しました。消防団ではデジタル無線を導入していたのですが、その時はつながらなかったため、旧式のアナログ無線で連絡をとりましたが、分団も体制が整うまでに時間がかかったということもあり、夜になるまで情報は全く入ってきませんでした

 

”自衛隊からの協力の申し出”

東日本大震災大船渡市消防による自衛隊の見送り出典:大船渡市 東日本大震災記録誌

 ──その後は、どのような状況だったのでし ょうか。

 消防団では、分団が水門閉鎖や避難誘導等を行い、団本部はそれらに対する指揮を行います。このため、情報が入らないと指示が出せませんので、安全確保を図りつつも実際に現場に行って情報収集を行うようにしました。夜中までには無線や団員等から情報が入ってくるようになりました。

 そのような中、消防長から明日自衛隊が入るという情報が入りました。“消防団と一緒に活動をしたいと言っているが団長いかがでしょうか”ということでした。“願ってもないことで す。是非ともお願いします。”と回答しました。 それまで自分の中ではどのように展開すればよいのか分からない状況だったのですが、そういった情報が入ったことで、これを一つの起点として進めようと思いました。

 翌朝6時に、集合場所である猪川小学校に行 くと、自衛隊の他、警察や住田町の消防団も応援に来ていました。消防団が地域の状況を把握しているので、各機関がそれぞれのチームで活動するのではなく、混成チームで活動することとなりました

 

──捜索活動はどのように行ったのですか。  

東日本大震災大船渡市捜索活動
出典:大船渡市 東日本大震災記録誌

はじめは、徒歩で声をかけながらの活動でした。その後は、重機を入れて、がれきを少しずつ取り除きながらの捜索活動を行いました。 2、3日経過すると道路啓開が進んで活動しやすくなりました。がれきの中での活動でしたが、団員たちは安全靴を履いているわけではありませんので、釘の踏み抜き等により負傷する団員もいました。  

 

──捜索活動の現場での指揮は誰が執ってい たのですか。

 最初の指揮は、消防団でやらせてもらいまし た。初日は朝6時に集合したのですが、翌日からは最初に消防署に自衛隊、警察、消防緊急援助隊等の幹部が集まり、消防団員が地図で現場の説明をしてから、猪川小学校に集合して活動するようにしました。1日の捜索活動が終わると、市役所で調整会議としてその日の反省と翌日の計画について話し合いました。

 

”前向きな調整会議”

東日本大震災大船渡市調整会議出典:大船渡市 東日本大震災記録誌

 ──調整会議はどのように進められたのです か。  

調整会議には、消防団、消防署、自衛隊、警察、市の防災管理室、建設課等が出席して行わ れました。司会進行は消防次長が担当して、消防団からは団長と本部長、記録係の団員が出席しました。

 調整会議ではみんなが協力的でした。例えば、我々消防団が、人員や場所の関係で捜索活動が難しいなと思う場所でも、自衛隊から積極的な協力や提案があって、とにかく前向きに進めようとしてくれました。市の建設課も重機を臨機応変に手配してくれて、調整は大変だったと思いますが、協力的な体制で活動を進めることが出来ました。

 

”地域の人が困っていることは、全て聞いてくること”

東日本大震災大船渡市給水活動出典:大船渡市 東日本大震災記録誌

──捜索活動のほかにどのような活動を行いましたか。

 遺体搬送も行いました。遺体搬送は、警察の仕事ですが、人手が足りないということで要請がありました。各分団は精一杯の状況でしたから、団本部で行うこととし、軽トラック2台を使用して遺体安置所まで搬送しました。

 また、電気も水道も止まっている状況でしたので、地域の人が困っていることがあれば全て聞いてくるよう団員に指示しました。  このほかにも、避難所対応への協力や夜間の警備等を行いました。

 ──今回の災害を受けて消防団の活動可能時間を20分とするルールをつくったと聞いていますが。

 宮城県沖地震がくるとずっと言われていたので、警戒していました。宮城県沖地震が発生した場合、津波が大船渡に到達するのは30分後くらいだと聞いていましたので、震災の前年に、 水門閉鎖の所要時間と昼夜の出動時間を確認し、これらを勘案して、30分を経過したら水門閉鎖は必要ないということを口頭では各分団に伝えていました。

 そして、今回の震災で3名の団員が犠牲になったことを踏まえ、二度と犠牲者を出さないためにも、消防団活動の安全管理マニュアルを策定し、震・津波災害時の消防団員の活動時間を、津波注意報等の発表から20分間と定め、消防団員の安全確保の徹底を図っ ています。

 

”3名の消防団員を亡くしてしまった”

東日本大震災大船渡市追悼式出典:大船渡市 東日本大震災記録誌

 ──今回の震災を通してうまく活動できたこ とや反省としてはどのようなことがあります か。

 うまく活動できた点としては、まずは、各分団の結束が素晴らしかったと思います。各分団がまとまっていて、これらが団本部の命令で動いてくれました。

 そして、警察や自衛隊等と連携もできていました。これはお互いの信頼関係がすぐに構築できたということが大きいと思います。さらに、 消防署と消防団との関係も極めて良い状況であったため、うまく連携を取りながら活動することができたと思います。

 また、これまで代々、先輩方から教えられてきたことはほぼできたのではないかと思います。「常に冷静に状況を掌握して行動しなさい。 現場を見なさい、自分で見ることができなければ部下に確認させなさい。そして、できるだけ早く命令を下しなさい。間違えたら訂正をかければいい、何もしないでいるのが一番悪い」ということを言われてきました。

 反省点としては、3名の消防団員を亡くしてしまったことです。あとは、普段の活動のあり方を見直すことで、もっと被害者数を少なくできなかったのかということを今でも思っています。

内容は全て許可の元岩手県大船渡市災害記録誌より抜粋しています

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