忘れ物をさがしに。-西日本豪雨から一年経った場所で、それぞれが感じたこと-

7月6日。

あの、西日本豪雨の日から1年が経ちました。

関西で暮らす私たちは、なんとなく真備町は復興したものだと、思っていました。

今、真備町はどうなっているのでしょうか。

ボランティアとして現地を訪れた5人それぞれが、感じたことを綴ります。

ボランティア団体「め組JAPAN」と被災地に訪れたメンバー

日本で生きるということ/向井香織

6月18日 午後10時22分。アルバイトが終わり、スマホを見たら突然上の方に小さなスワイプで通知が入った。「山形県 震度6強」この文字を読んだ瞬間、口からこぼれたのは「また…?」という言葉だった。隣にいた先輩も同じ反応をしつつ、「そういえば、去年大阪で起きた地震も今日やった気がする……。」と言っていた。

確かに、ちょうど1年前に、大阪府北部地震が起きていた。朝の通勤ラッシュ時のことだ。幸い私はまだ家から出ていなかったが、私の父は車内に閉じ込められ、線路を歩き、大阪から家のある兵庫まで帰ってくることができなかった。

1年に何度も、定期的に地震が起きていることは間違いない。そして、地震だけではない。台風や大雨などその他の自然災害も含めると日常的に起きている。

日本は安全な国。そう思っている人は少なくないだろう。しかし、それは半分正解で半分間違いだ。治安という意味では、世界的にみても安全だと言えるかもしれない。だが、自然災害の頻度の高さでは、世界の中でもトップクラスの災害大国である。

「日本に住んでいるから安全である」という確証はどこにもない。「わたしの住んでいる地域は、災害が起きたことがないから大丈夫。」とは言い切れない。

「被災地」。その言葉を聞いて、どんな風景を思い浮かべるだろう。わたし自身、今まで生きてきた中で特に被災したことがなく、被災地を訪れたこともなかった。テレビの向こう側でただその事実を見ているだけだった。

募金をしたことはあるが、ボランティアに行ったことはない。同じ日本にいながら、わたしの生活に変化はなく、ある意味“いつも通り”だった。無関心というわけではないが、思っている以上に実感がなかった。

けれど、画面を通して現地の人々の涙を見る度に、これは間違いなく現実なのだと思い知らされる気がした。

今回、取材ではあったが人生で初めて被災地を訪れる機会を得た。訪れた場所は、岡山県真備町だ。昨年6月28日から7月8日にかけて西日本の広範囲が豪雨に見舞われ、川が氾濫し、多くの方が亡くなった。もちろんニュースを見て、その情報は知っていたが、それ以降どのように復興支援の活動が行われているのか、真備町の現状は全く知らなかった。

「もう、ちらほらと家が建て直され町に人が戻り始めているのでは。」と被災地の風景を想像しながら、町へ向かった。

車中から真備町を見たときの最初の感想は、「意外と綺麗に家の形が残っている。」と思ったこと。しかし、よく見てみると形は残ってはいるけれど、どの家も窓ガラスがなく、家の中が空っぽだった。

骨組みだけが残っているだけで、町全体も人の気配があまりなかった。まだまだ住める状態ではないのだろう。地元の人に話を伺うと、やはり戻ってきている人は少ないらしい。夜は町全体が真っ暗になり、その暗さが復興への道のりの長さを物語っているようだ。

一方、希望も感じられた。それは地元の住人の方々の姿勢だった。

ボランティアの活動の一部で、植栽を手伝った家のおじいさんから当時の状況についてお話を伺った。家が浸水し、屋根の上へ逃げてもどこにも行くことができない。幼い孫たちをどうやって助けるかという緊迫した状況。自衛隊が用意したボートも乗れる人数が限られている中での葛藤。避難した後で隣の家の方が亡くなったことを知った。

1年前の被災から今までの過程を、静かにひとつひとつ話を聞かせていただいた。その時の表情は堅かったが、瞳の奥は力強く先を見つめていた。死ぬかもしれない状況を経験した。けれども、その経験をこれから生きていくための強さに変えた。それは簡単なことではない。驚きとともに、純粋にその姿勢に胸が熱くなった。

「この子はもしかしたら当時のことは、もう覚えてないかもしれない。でも間違いなく、周りの人たちに繋いでもらった命。大きくなった時に、ちゃんと伝えてあげたいと思う。」そう話しながら、まだ3歳になったばかりのお孫さんの頭を撫でた。お孫さんを見つめるおじいさんの視線に、わたしは未来を感じる。

復興は時間がかかる。震災は時と共に色褪せてしまう。しかし、命は繋がっている。被災地では、前をみて進む人、悲しみから動けない人、それをサポートする人、まだまだ色んな人がいる。同じように、復興への道のりも人それぞれ。時の流れは一定で、日々は過ぎていく。

災害が起きたことは、誰のせいにもできない。自分の身を守るのは、改めて自分なのだと考えさせられる。普段、生きていく上で困ったことがあった時、何に頼るだろう?病院、役所、国、助けを求める場所は、色々ある。でも、忘れてはいけないのはその人たちも私たちと同じ、国民であり、人間である。彼・彼女たちにも家族がいる。友人がいる。

保健師として働き始めたばかりの女性がボランティアに来ていた。「私の職業は人を助ける立場やけど、私たちも人間やからどうしようもできないこともある。私たちも同じ人間だから。こんなことを言ってはいけないかもしれないけどね。」

私は、彼女の言葉が一番印象に残っている。誰を責めることもできない、それが災害。自然の脅威は予想もできない、防ぐこともできない。どうしようもないことだ。しかし彼女は、自分の仕事以外でも自分なりにできることを見つけ実行している。改めて、誰も責めることはできないんだと感じた。

安全な国、日本。しかし、毎年のようにどこかで大きな災害が起こっている。これは紛れもない事実だ。あなたがもし、被災していないのであれば、それは運が良かったとしか言いようがない。いつあなたが、もしくはあなたの大切なひとが被災してしまうかわからない。

「募金をすべきだ」、「ボランティアに行こう」、「災害に備えよ」、きっとそんな言葉は、今ここには必要ない。ただ、この災害大国でどう生きていくかは考えておかなければいけないと思う。

2011年東日本大地震、2016年熊本地震、2018年西日本豪雨、北海道胆振東部地震、これだけの災害がここ数年で起きている。そこから何を感じるだろう。被災地の未来は、あなたの未来かもしれない。

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