最終更新日:2022/10/31 (公開日:2019/07/06)

忘れ物をさがしに。-西日本豪雨から一年経った場所で、それぞれが感じたこと-

災害ボランティアに関する考察/葭谷うらら

西日本豪雨から7月で1年。台風7号と梅雨前線の影響で大きな被害を受けた岡山県真備町では、61人が命を落とした。1年が経とうとしている今でも被災地には、災害の爪痕は消えず、壊れたままの家屋や浸水した土壁の痕がところどころに残存している。

災害ボランティアに人生で初めて参加することになった。幾度も参加する機会が与えられていたのに今まで一度も参加しなかったのは、無償で働く人の心情が分からなかったからだ。決して、その感情がボランティアの人達に対する否定的な姿勢でないことは、ご理解いただきたい。私一人の意見である。

人間は、与えたものと同等の対価を求める生き物だと私は考えている。頑張ったら頑張った分だけの成果や評価が得られると信じ人は努力する。

だが、自分の費やした時間とエネルギーに対する対価が釣り合わない時、人は世の中が不条理だと怒る。そういった日常の摂理を目にしていると「与えたものの見返りを求める人間がなぜボランティア活動を行うのか」という疑問が浮かんだ。

ボランティアは、仕事のように働いた分だけ報酬がもらえるわけではない。むしろ一切の金銭のやり取りは排除される。だが平成29年度時点で約700万人が全国でボランティア活動をしており、(平成29年社会福祉協議会調査より)1980年代に比べると7倍にも増加していることが分かっている。

つまり人間の性質とボランティアの増加には矛盾がある。仮に増加する要因を挙げるとすれば、参加者がボランティアを通じて何かを得ることができているのではないかと考える。

私が参加したボランティア団体には、子供から大人まで幅広い世代の方が参加していた。驚いたことは、ボランティアが目的のためにただ召集された組織ではなく、一種の交流の場であり、むしろ家族といるような温かさすら感じられたことだ。

そのおかげか私が周囲に馴染むのにそう時間はかからなかった。お互いをあだ名で呼び合い、防災に関する情報交換やワークショップをする。みんなで共に頑張ろうとする組織の形は、私に団結力の大切さを教えてくれた。

彼らを観察し、ボランティアという組織自体が彼ら一人一人の拠り所となっているのかもしれないと考えた。つまり彼らは、ボランティアを通じて一つの心の居場所を獲得しているのだ。これが、昨今ボランティアが増える理由なのではないかと考察した。

作業をしながら、彼らにボランティアに参加する理由を問うと、共通して言うのは「恩返し」という言葉だった。災害に見舞われたときに助けてもらった分、お返しをするためにボランティア活動をしていると聞き、私ははっとさせられた。なぜなら、私自身が人を助けることに対し損得を考えていたからだ。

「困っていたら助け合う」思っているよりもずっとシンプルな理論が成り立ってしまったのだ。それは私にとって大きな発見であり、自分の考え方を羞恥するよい機会であった。

彼らにとって被災者からの最も嬉しい見返りは、被災者自身が復興することを諦めず、各々の日常を取り戻すことなのかもしれない。それが彼らの純粋な善意が報われる一つの方法なのだ。被災者の日常に少しでも近づける手助けをすることが私たちに唯一できることなのではないだろうか。

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